Inspirational Mind

2003.10.11 - 2011.04.11

Twitterが教えてくれたブログの書き方

GW中に久々にブログを書くことを再開して、意識はしていないもののほぼ毎日更新をしている。ブログを書き始めたのが2001年頃。このブログに記録が残っているのが2002年からか。合計でも100件弱しか更新していないのだが、それでもその当時の記事がネット上に残っているのはありがたい。ただまあ、ブログを継続しているとは言い難い。単純に何度も挫折しているだけなのだが。。。

ブログを書き始めた頃は編集会議の「編集・ライター養成講座」に通っていた頃で、記事でお金が取れる内容とはどんなものか、と言うような事を意識して書こうとしていた。プロのライターになるにはどうしたらいいのか、とか様々な人が面白いと感じてくれる記事とはどんなものかとか、あれこれ打算的なことを考えていたわけだ。そうすると、変なプレッシャーばかりかかってしまい書けなくなる。内容も変にまとまってつまらなくなる。

今は、結構気楽に文章を書いている。というのは、極めて主観的で個人的な感想だったとしても、内容が陳腐で合ったとしても、ある個人の意見や考えはネット上ではそれなりに役に立つ事がわかってきたからだと思う。そう考えられるようになったのはTwitterのおかげだと思う。

ブログをあれこれ読んでいた頃から何となく感じていたことだが、Twitterに関しても同じで、ある時事情報や自分が欲しいモノがあった際に、一人のレビューやブログの記事だけを参考にすることはない。色々な人の意見を多数吸収することで、多角的な意見を知ることができ、その複合要素である事柄の全貌であったり、モノの価値や自分に合うかどうかなどを知ることが出来る。1件のブログの記事の品質はそんなに問題ではなく、色々な立場の人たちの意見や感想を吸収できることが重要だと思う。

Twitterがすごいのは、その多角的な意見をほぼリアルタイムで、膨大な数の情報に触れられる事だと思う。ブログではそんなにたくさんの記事に触れる事は出来ないが、Twitterであればキーワード検索をかけるだけで、内容によってはとんでもない数の意見を聞くことが出来る。Twitterを日常的に見続けている理由はそのためで、既存メディアに代わるモノだと言われている理由もそんなところだろう。情報源として自分がある程度信頼している人をフォローしておけば、関連する情報は日々TLに入ってくるし、キーワード検索をかければ、自分の価値観を超えた領域の人たちの話も聞くことが出来る。

まあ、これはTwitterの話で、逆にTwitterがこれだけ普及してきたことで、ブログの意味合いも少し変わってきているのかもしれない。情報量が多いだけに、誰のブログでも読むわけでもなくなり、読む価値を感じる人のブログしか読まなくなった。かといって、あまり気合いを入れすぎる必要性も感じない。それぞれの価値観で自由に書いてくれれば、立場の違う、生き方も違う人たちの話は十分ありがたく、読むときには読む。多分、書き手がプロでも素人でも平均点の差はあっても変わらない。

そう考えるようになって、ブログが書きやすくなった。
継続するかどうかは分からないが。。。