Inspirational Mind

2003.10.11 - 2011.04.11

ソーシャルコミュニケーションの加速に合わせて形式知を流通させたら

職場での仕事において生まれたノウハウは在籍する企業や関わっているお客様のものだ。それは揺るぎない。でもそれはあくまで名目上のことで、ノウハウは企業ではなく「個人」に蓄積される。それも事実でこれが俗に言う暗黙知と言われるもの。

自分のいるIT業界だけの話ではないと思うが、企業内には個人によって生み出された様々な成果物がある。提案書や紹介資料、サポートデスクでの回答や社内外にむけた報告書などの資料。これらの中には各種のノウハウが含まれているがすべてではなく、行間に込められた個人や関係者が体感することで得たものは含まれていない。まあこれが形式知

一橋大学の野中先生によれば、形式知を得ることによって個人の知恵に変えるためには実際に体験・体感するしかないとされている。形式知は重要だが、それを自分のものにするためには体験するしかないわけだ。

そうすると、企業内に蓄積されている様々な成果物たち(形式知)をある企業内にのみ蓄積しておくことに意味はないのではないかと最近思う。機密情報や秘密保持に関わる情報はもちろんNGだが、そうではないものも沢山あるはずだ。そういったものは、インターネット上にでも公開してしまえばいいのかもしれない。なんなら作成者の名前もつけて。

優れた本を読んでもその通りに実行できるわけではないし、優れた提案書を利用しても同じ販売活動を誰もができるわけでもない。同様に、優れた方法論を実行するためには実行するための組織文化や体制が必要なわけで、発信する側にはデメリットはほとんどないと思われる。

むしろ、メリットの方が大きいのではないかと思う。

自分はIT業界にしか在籍したことがないためそれ以外のことは言えないが、世の中に出回っているソフトウェアの機能的な差は失われつつある。あるテーマにおけるコンペにおいて、同じソフトウェアが複数の企業から提案されることも日常茶飯事だと思う。判断する要因になるのは目の前にいる人だったり、自分の知る限りでの企業イメージだったりする。

どれだけその分野に精通しているか、どれだけ技術力があるか、技術動向に対するバランス感覚をどれだけ持っているかなど、表面的な情報では見えにくい感覚にも大きく左右されていると思う。

ソーシャルWebの発達によって、個人間のコミュニケーションが急速に加速している。従来のコミュニケーションでは接することのなかった人への到達速度も同様で、それらは継続的に発信される情報と、それを発信している個人のつながりによって当人たちも知らないうちに繋がっていたりする。

そうすると、情報は発信した方が「得」なのだと思う。従来から企業内のナレッジマネジメントの話では言われ続けてきたことだが、今後は企業内にとどまらず、企業内からの情報発信というかコミュニケーションに強い企業が世折り力を持っていくのではないか。

とはいえ、何でもかんでも発信すればいいわけではなく、精査や校正等は必要になるのだろう。かといって、広報部門などで集約して管理していては、従来となにも変わらない。ある程度個人に任せるなり、すでにそういった力を持った人を支援するなりするしかない。

ソーシャルコミュニケーションの波はどうせ止められない。であれば、それに逆らわずに活用する道を考えていかなければいけないし、それができる企業とできない企業の差は大きくなりそうな気がする。うまくやるところは必ずあるから。いや、すでにあるのか?

書いていて何だが、ちょっとこわい話だ。
個人が表にでる分、個人の責任も大きくリスクもある。

急速すぎる。