Inspirational Mind

2003.10.11 - 2011.04.11

なぜかグーグルが恐ろしい理由

Web2.0と新しい基幹産業で書いた、グーグルに漠然とした恐怖心を感じるもうひとつの理由は、仮にグーグルが、「増殖する地球上の膨大な情報をすべて整理し尽くす」ことに成功した際の影響力だと思う。グーグルがはじき出す「整理し尽くされた情報」への人々の依存度はどれだけのものになるだろうか。


現状は「検索」という能動的な行動がなければグーグルは何も発することはないが、検索の積み重ねによって蓄積された情報から自分の趣向が割り出され、常に好みの情報がグーグルから提供されたとして、その結果を客観的に読み取り、自分の手のひらの上で転がすことができる保証はない。


情報を鵜呑みにせず、常に自分の頭で考えることの重要性は、昔から言われてきたことではある。が、限られた情報に踊らされ、思考停止に陥ってしまうこと、自分の頭で考えていることが、実はグーグルに提供された情報によって踊らされてしまうこと。これらは、日常的にグーグルを使用していることを考えると恐ろしくなる。


グーグルが完全な公共性を持ち続け、YahooやMicrosoftなどの競合他社と競争している間は特に問題はないと思う。グーグルがインターネットに接続する「唯一の」ポータルになり、検索結果に意図的な「誰かの意思」が入り込む可能性をなんとなく考えている。


ウェブ進化論で梅田さんが「総表現社会」と表現していたが、インターネットによってコミュニケーションの規模が国境の枠を超えた今、「総大衆化社会」ともいえる現象がインターネット上で起こってしまう可能性はないのだろうか。


歴史上存在した数多くのカリスマたちは、その影響力を世界全体に広げることはできなかった。現在の環境で歴史的なカリスマが生まれたとき、その影響力が世界規模になるのか、それとも、インターネット上の「個」がそれを妨げるのか。ただ、グーグルのような会社を見ていると、漠然と、そういったことが起こる可能性に恐怖している。