マンガ喫茶にしょっちゅう行くのは、今に始まったことではない。
学生のころ、マンガ喫茶が世に増え始めたころから空いた時間に行くことが多かった。ファーストフードやカフェよりも割安感があったし、なにより大量のマンガがあるわけだから、暇つぶしにはこれ以上のものはない。ゆったりとしたソファとドリンク飲み放題。一人で街を歩き、疲れたらマンガ喫茶というコースも、あたりまえのようになっていた。
ただ、最近はマンガ喫茶自体が目的になっていることが増えている。読みたいマンガがあるわけでもなく、時間をつぶしたいわけでもない。ただマンガ喫茶に行きたくなることがある。
そういうときに読むマンガは、過去に何度も読んだマンガが多い。繰り返し読んでいて安心感のあるマンガを「ただ」読む。読んでいるときは何も考えていない。意味のある時間とはいえない。
この「意味のない時間」を求めてマンガ喫茶に行っている。
年齢を重ねるにつれ、考えなければならないことが増えている。自分で買って読む本は、なにかしら自分にとって意味のある本ばかりになった。たとえ娯楽に関係する本であってもだ。
気持ちが前を向いているときであればよいが、最近はそうでないことも多く、そういうときに「意味のある本」を読むのは少々きつい。無駄な時間を過ごしたくなる。自分で考えて買った本、DVD、ゲーム、CDから離れたくなる。そんなとき、マンガ喫茶は手軽だ。
健全とはいえない。
今はそうなってしまっている。