Inspirational Mind

2003.10.11 - 2011.04.11

「ありがとう」が言えるとき

早く家に帰り、何の意味もなくブログを巡り巡っていたら2ちゃんにたどりついた。
正確には2ちゃんの記録か。

http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133

FLASHで作り込まれてて、BGMまで入ってて、
「いいのかよ勝手にに曲使って」とか思ってたら、

・・・号泣

こんなに他人の話で泣いたことがあるだろうかってくらい泣けてしまった。
なんでだろうな。リアルだったからかもしれない。

ちょうど3年前、母親がガンになった。
早期に発見したこともあって結果的には助かったんだけど、
本人も家族も「死」を意識したことだけは確かだと思う。
8年前くらいにばあちゃん(母親の母親)がガンにかかっていて、
早期発見だったにも関わらず助からなかった。
運悪く悪性のガンにかかってしまったからだが・・・

末期ガン患者を見たことがある人はわかると思うけど、
ばあちゃんも死ぬ間際は結構壮絶だった。
それを目の前で見続けていた母親が、
自分がガンになったときにそれを意識しないはずがない。

おれもガンの種類と検査結果も聞いていて、
普通に考えたらまず大丈夫だろうとは思っていたが、
母親の「死」を意識していたと思う。

おれの実感だけど、本気で「死」を意識してしまってからでは
「ありがとう」なんてことはとてもいえない。
それをいうことは、母親が死んでしまうことを認めることになるからだ。
生きて退院してからのことしか話せない。いや、話せなかった。
多分、助かる可能性があるうちは話せないだろうな。

結果として母親が元気になったことは、
おれたち家族にとってはとても幸せなことだったのだと思う。

いなくなってからでは遅いが、いても言えない状況になることだってある。
どっちにしても言葉で伝えるようなことではないのかも知れないけどな。

これ、職場では読まない方がいい。

ちゃんと言ったもんね、「ありがとう」。