Inspirational Mind

2003.10.11 - 2011.04.11

読んだ本を力に変える「レバレッジリーディング」

レバレッジ・リーディング

レバレッジ・リーディング


前に、「読書の価値を高めるには」と題して、読んだ本の価値の価値を自分の力に変えていくことの難しさを書いた。その解決策のひとつとして自分に光をあててくれたのがこの本「レバレッジ・リーディング」だ。

読書を投資ととらえて、いかにしてに自分の力に変えていくのか、本の選び方、読み方、そして最も重要な読んだ本を自分の仕事に役立てるための「レバレッジメモ」の書き方までを説明してくれている。これに近い本の読み方をしていて、同様の手段を使っている人も多いのだと思う。また、そう言った読書の仕方を説明してくれている本も多い。が、具体的にその手法まで示してくれていて、かつその目的が明確に「ビジネス」「仕事」をターゲットにしている本を読んだのははじめてだった。

ビジネス書をよく読み、感銘をうけても実践に役立てられずにずっと悩んでいた。本に付箋を貼り、その本を取り出せば内容を思い出すが、実践の場で本を片手に仕事ができるケースはとても少ない。この本に書いてあるようなレバレッジメモを作成し、プリントアウトした状態で持っていると、報告書や資料と同じ扱いで、普段の仕事上でそのまま使うことも出来てしまう。

とにかく、自分の仕事を進めていく上で、読書を生かせることを初めて体感できた。その結果を与えてくれた本なので。お進めできる。

ジェネラリストの憂鬱


ふと、自分の現状を考えてみる。
今の組織にとって、自分は必要な人間なのかと。


いてくれると助かる、いてくれないとある仕事をやる人がいなくなる。
ただ、それは必ずしも自分である必要がない。
仮に自分がいなければ、その代わりの人間をあてがうか、出来る人が
必死になって取り組むだけだ。


まあ、それが組織なわけだが。


今の時代、優れた人間は限りなく少ないが、
優れた人間は必須ではない。
この人でなければ頼れる人がいないと、
だれからも思われるような状態でなければ、
いずれ存在意義はうすれ、同様の力をもった若い人材が現れれば
取って代わられる。


自分でなければいけない。自分であることが必須だと、
思ってくれる人が多ければ多いほど、自分が存在できる場所は増える。
そこには、一切の過信はあってはならないのだと思う。
多くの場合、自己評価は他己評価より高くなりがちだからだ。

いてくれると助かるが、いなくても仕事はできる。
そんな人間ではダメなのだ。

プロフェッショナル原論

プロフェッショナル原論 (ちくま新書)

プロフェッショナル原論 (ちくま新書)

プロフェッショナルの定義やポリシー等を解説した本。
「プロ」と「プロフェッショナル」も違うらしい。
組織に属しておらず、組織への貢献を最重要視しないあたりが、
その根本にあるようだ。


既に認知されているプロフェッショナルとして、弁護士、公認会計士、医者、一級建築士など、
国によって認知されているものを対象とし、経営コンサルタントなどは
プロフェッショナルではあるが、その認知度からまだまだこれからの職だと書いている。
著者は経営コンサルタントである。


組織に属している以上、その利益は重要であり、企業として顧客第一を謳っていても、
実際の現場において、顧客の利益だけを考えて行動することはできない。
どんな状況であれ、常に何かしらの制限や壁になる存在や、自分のポリシーを貫き通すことは
難しいわけだが、その壁を取り払い、自分の意思による行動や決定ができるあたりが、
プロフェッショナルの特権であり、同時にリスクであり、厳しさなのだと書かれている。


個人依存の職種であり、実際に現場で働き続けている経営コンサルタントの著者であるため、
その考えには多少偏りがあり、そうではない(組織に属している)自分としては違和感を感じるところ、
「それでいいのか」と突っ込みたくなるところがあるものの、一貫性を持って書かれているように
思えるので、好感が持てる。甘えた記述も一切ない。


フリーで活躍可能な、プロフェッショナルとして活動できそうな職種すべてに当てはまるわけではないとは思うが、
起業ではない独立モデルを考えている人は、読んでもいいのではないかと思う。

1週間の出張

来週末から一週間、サンフランシスコに出張する。
考えてみると、一週間規模の出張は初めてで、
スーツケースはないわ、着るものも一週間分もないわで、
金がかかって仕方がない。

準備できそうな日は今日のみ、苦しむ中で見つけたサイトがこれ。

http://www.arukikata.co.jp/shop/urawaza/urawaza01.html

さて、時間がない

個人のワークスタイルと情報システム

グループウェアを導入していても、使用しているのはスケジューラーと会議室予約だけという企業は結構多い。スケジューラーにしても、あくまで「共有」が目的であって、自分のスケジュールの管理や確認には自分の手帳を使用している人はもっと多い。

手帳術の本が数多く出版されていたり、道具を選ばないGTDが受け入れらているのは、個人のワークスタイルが多様だからだと思う。同じ手帳を使用していても、その使い方は様々で、個々の業種や仕事のやりようによって、変化するのは当然だと思う。

グループウェアの使用率が上がらないのもそれが影響しているのではないかと思う。
そう言う意味では、グループウェアの機能をフル活用して仕事を効率化している人ももちろんいるのだと思う。

企業内の情報システムは、業務の効率化やコスト削減を目指しているものであるが、個人の能力に依存する職種ほど、その支援をするシステムを構築するのは難しく、導入時の反発も大きい。無理矢理使わせたところで、現場のストレスは高くなり、結果として業務の妨げとなってしまうことすらある。業務改善のために導入したシステムなのに。。。

ふと、生産、流通などで、システム化や機械化が成功している理由について考えてみる。これらの現場で、人の能力を尊重していないかというと、そんなことは全くないだろう。人的コストが削減されたとしても、人がいなくなるわけではなく、そのシステムを利用して効率化されているわけで、共存していることになる。

システムが担当して効率化する仕事、人の力が必要になる仕事、それらを区別するラインが、営業職を始めとするナレッジワーカーの仕事に比べると明確なのだと思う。

アウトプット、それを生み出すプロセスまでを常に考えながら仕事をしている人たちは、常に仕事をするための道具を選び、工夫しながら仕事をこなしている。そうやって生まれた仕事の方法論は、個人にとっては「こだわり」であり、そう簡単に崩すことは出来ないし、崩すべきでも無い。

さて、システムを構築したり、パッケージソフトを提供する側からすると、導入した組織の人すべてに活用してもらいたいと考える。しかし、仕事の内容によっては、システムを使ってもらうことがその人の仕事の効率を結果的に落としてしまうこともある。

また、個人情報保護法やJ-SOX法などを背景に、業務を統制する必要もでてきた。営業プロセスの統制やトレーサビリティの強化を目的としたシステム構築も増えてきた。

個人のワークスタイルの尊重、組織的な業務効率化、内部統制。これらを共存させるシステムとはなにか。また、そんなシステムを構築するためのコストを減らすための手段は何か。


考えてみたいと思う。

変化とニーズと技術の歯車

自分がそうなのだが、企業システムに関わっていると、常に統合に向かって物事を考えがちになってしまう。それが、業務の統合だったり、マスタの統合であったり、システムの統合だったり、何でもそうだ。

最近では、業務ごとに乱立するシステムを美しく統合することが難しいことを背景にしてSOAメタデータ統合といった、曖昧に(意味合いがおかしいかもしれない)統合するような流れ、というか注目が集まってきているように思える。

基幹システムを数年かけて構築し、運用にのったとしても、その瞬間から次の要望は生まれ、分社化やM&A等が発生すれば、全社のシステム環境も業務も変化する。その変化に現状の情報システムは対応しきれていないのだろう。

実際、変化がおこることなど、システムを構築もしくは提供する側が気づかないわけもなく、それを想定したシステム構築を目指すが、規模が大きくなればなるほどそれは難しくなる。

たとえば、あるSIベンダーにシステム開発を依頼したとする。そのベンダーは自社のフレームワークに沿って、拡張性や変化対応力に優れたシステムをなんとか構築できるかもしれない。ただ、それはあるベンダー一社ないでの話で、単価の折り合いがつかなくなって、企業側が別のベンダーに乗り換えようものなら、そのノウハウやアーキテクチャは闇に消える。

とすと、企業側の情報システム担当者が全体像を把握して、さらに全社規模でEA等を構築しながら情報システムの展開を進めていたとしても、先ほど述べたようなM&Aがあれば大規模なシステム改修や統合が必要になる。

現状、これらの変化にシステムが対応できずにいるのは、ビジネスの変化にソフトウェア業界の技術の進歩が追いついていないからではないかと思う。

変化に対応しきれないから、SIという業種は存在でき、ビジネスとして成り立っているのかもしれないが、存在しているというだけで、そこにいる人々のストレスは蓄積し、脱落しているひとも多いのではないか、仕事はどれも厳しいが、病んでいる人が多いと感じてしまうのも、また事実のような気がする。

システム企画と構築にじっくりと時間をかけ、品質の高いシステムを構築できていた頃はとてもやりがいのある面白い仕事だったのだろう。今の現状がつまらないわけではもちろん無く、依然としてやりがいがあり、面白い仕事だと思う。

ただ、どうも歯車が噛み合っていないと思うのは、気のせいなんだろうか。

自分の定義(2)

他人にどう思われるか、それが精神衛生上重要だとする

乗り越える道は自分で切り開くしかないと考えている

自分のいまいる場所で評価を高めていくこと

人脈を様々な価値観を持つ人と話し、様々な「顔」を持つこと

もちろん、人によって接する態度や考え方を換えるわけではない

変えてしまったらかえって疲れるだけで、幅を広げる価値すらない。

結局、自分の価値は自分で上げていくしかないのだが、

視野の狭い価値観のなかで自分を決めるのは寂しすぎる

幅を広く持つ、そして自分の価値を高める

努力と、継続が必要なことも間違いないのだろう