Inspirational Mind

2003.10.11 - 2011.04.11

一人の天才、十人の凡人

いま、「ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か」と同じ流れを汲んだ「ザ・キャッシュマシーン」という本を読んでいる。TOC理論を営業戦略に活用していく過程を、いつものようにビジネス小説にして解説している本なのだが、内容にはここでは触れない。まだ読んでいる途中だし。


このなかで、以下のような会話があった。

旧営業部長:「・・・ いいかい、セールスはアートだ。製造システムとは違うんだ。セールスマンシップというのは持って生まれた能力なんだ。もしもその能力がなければ、他の仕事を探すしかない。 ・・・」
新営業部長:「・・・ 雑誌をつくるのも、プリント回路基盤をつくるのも、ソフトウェアのモジュールをつくるのも、あるいはクルマをつくるのも、みんなアートだ。みんなどく総力と一定のプロセスについての深い知識を要する。しかし、アートだけでは駄目なんだ。実際の業務にも精通していないといけない。アートと実際の仕事の内容両方を取得して、はじめて成功が得られるんだ。 ・・・」

本編とはあまり関係のない部分ではあるのだが、うなってしまった。確かに、実際に身近な営業の話を聞いたり、有能な営業を見ていると、営業として成果を上げるためのアートに近い要素を感じることはある。ただ、結果を残している営業はみな地道なプロセスをしっかりとこなしているのもまた確かだ。


これは他の仕事にも言えることで、ソフトウェア開発を希望して入社してくる新入社員はソフトウェア開発に独創性と知的探究心を満たすことを望んでいることが多い。もちろん、独創性は重要だが、品質の高いソフトウェアをリリースするためにはその背景にある製造業と同様な地道なプロセスがある。ただ、非常に面倒な作業であるため、若いうちにその面倒な作業に絶望して抜けてしまうことも多い(私も偉そうな口をきけたものではないが)。


どんな仕事でも、表面的な華やかさの裏には地道なプロセスがあり、そこで手を抜く人は結果を残すことが難しい。が、強い運と才能により、結果を上げてしまう人が存在するのもまた事実だと思う。しかし、結果を残したいわゆる「できる人」には、自分が当たり前のようにプロセスをこなし、結果を上げている人と、強い運と才能だけで結果を上げている人の2種類いて、私のような若輩者は、前者のタイプの仕事を盗みながら成長していかなければいけない。


企業において、前者のタイプの人は、自分の実行しているプロセスを踏んでいない人を無能だと判断し、後者タイプの人は成果が上がらない人を才能がないとみなす。現在の大部分の企業で採用されているOJLは、前者のタイプの部下は成長させることができるが、後者の部下は理不尽な方法論を押し付けてつぶしてしまうことが多い(ような気がする)。また、前者の正しいプロセスも、時の流れに応じて陳腐化していくので、外部環境の変化が激しい現在では役に立たなくなる速度も速いだろう。


だから、プロセスを分析して方法論につなげ、常に可視化しておくことが重要なのだと思う。ベストプラクティスとして成功したプロセスを常に残し、陳腐化すればブラッシュアップする。それを繰り返すしかない。陳腐化する速度は職種によって異なるだろうし、過去の成功体験にうんざりした若い人が、先輩のよい部分だけを自力で抜き出し、プロセスを1から築き上げるのも効率が悪い。


すでにかなり古い本になってしまったが、BPRについて書かれた「リエンジニアリング革命」に、日本人は業務を改善していくことには優れているが、それを方法論としてまとめ上げることは苦手といったことが書かれていたと思う。未熟な人間の無能さを嘆いていても何も始まらないし、できる人の負担は高まるばかり。できる人を10人集めた企業より、凡人100人で優れたプロセスを実行し続ける企業の方がより高い成果を上げるのではないか。


実行している企業は実行しているんだろうな。